藤田東湖の生涯
著者 | 但野正弘著 | |
定価 | 1430円(10%税込) | |
本体 | 1300円(税別) | |
判型 | B6判 | |
体裁 | 並製本・カバー装 | |
発行日 | 平成9年10月30日 | |
ISBN | 9784764603516 | |
ページ数 | 173頁 |
藩政改革の傑人の実像に迫る!!
慶喜公に伝えられた義公(光圀)以来の遺訓は幕府最後の土壇場で見事な光を放ち日本国を守ることができた。その遺訓こそが水戸の心であり、藤田東湖のいう大義を明らかにして人心をただすにはほかならなかった。目次
『水戸の人物』シリーズ刊行に当たって・・・・・・・・・水戸史学会会長 名越時正はじめに・藤田東湖の魅力
一 東湖の最期――安政の大地震
二 東湖の風格
三 広い交友関係
東湖の誕生
一 藤田家の家系
二 武士に取り立てられた藤田幽谷
三 東湖の誕生
四 青年東湖の武道修練
大津浜事件=決死第一回
一 大津浜事件
二 異国人取調べ
三 藤田幽谷の対応
四 東湖への大津行きの命――第一回決死の時
五 父幽谷の死
九代藩主継嗣問題=決死第二回
一 家督相続と彰考館への勤務
二 喪明けと活動開始
三 八代藩主に世続なし
四 東湖ら脱藩、江戸急行――第二回決死の時
五 敬三郎君、九代藩主就任
天保の改革推進と挫折=決死第三回
一 脱藩の罪で処罰
二 水戸藩天保の改革
三 弘道館建設の理想と「弘道館記」起草
四 弘化甲辰の変――第三回決死の時
幽囚の日々=小石川・小梅村
一 小石川長屋に蟄居
二 苦難の中に正気漲る
三 著述に専念
四 小梅下屋敷で幽閉
藤田東湖の『正気の歌』
一 「天地正大の氣」
二 「正氣時に光を放つ」
三 「極天皇基を護らん」
水戸竹隈町の幽居へ
一 小梅の小屋に書斎名「蹇斎」
二 水戸の竹隈町に移される
三 家塾「青藍舎」の教育を再興
四 吉田松陰の水戸遊学
五 湯岐温泉に湯治
「天下の藤田東湖先生」登場
一 ペリーの浦賀来航
二 烈公、幕府の海防参与
三 東湖、水戸藩の海岸防禦用掛り
四 ペリー来航騒動と水戸藩の動き
東湖と天下の若き志士達
一 若き志士達と交流
二 越前の橋本景岳
三 薩摩の有村俊斎(海江田信義)
四 東湖と西郷隆盛
東湖と佐久間象山の外交論
一 東湖の攘夷論と象山の開港論
二 編述者西河稱の評論
東湖の厚き人情
一 母および家族への愛情
二 門弟への気配り――田口秀美の場合
東湖流読書の秘訣と学者批判
一 東湖流読書の秘訣
二 当世学者批判
天下の豪傑・藤田東湖逝く
一 五十年波乱の生涯
二 東湖亡きあと
三 水戸の心
あとがき
〔付録〕「藤田東湖の生涯」略年表
著者略歴
但野正弘[タダノマサヒロ]昭和15年(1940)茨城県水戸市に生まれる。昭和34年3月茨城県立水戸第一高等学校卒業。昭和38年3月茨城大学文理学部文学科(史学専攻)卒業。昭和38年4月~昭和44年3月静岡県浜松日体高等学校教諭。昭和44年4月~平成13年3月茨城県立岩瀬高校・同水戸第一高校・同茨城東高校の各教諭を歴任。平成13年4月~現在(千葉県)植草学園短期大学教授。
水戸史学会理事・事務局長、(財)日本学協会理事。(財)水府明徳会評議員